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西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第44回










西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第44回

11月25日日曜日の放送では...。

とうとう、サブタイトル「士族たちの動乱」へ...。


あれからの西郷隆盛(鈴木亮平)は...。

鹿児島へ帰ってから、畑仕事をしたり愛犬を連れて狩りをしたり、といった静かな毎日を過ごす中で...。


時は1873(明治6)年11月のある日のこと...。

「西郷先生、おいたちも御役目を捨てて、薩摩に戻ってまいりもした!」

その叫びとともに、桐野利秋(大野拓朗)と別府晋介(篠原悠紳)と篠原国幹(榊英雄)と辺見十郎太(持永雄恵)が、隆盛の元に押し掛けて来て...。

隆盛が驚いたままの中、遅れて従道(錦戸亮)から皆を連れ戻すよう頼まれた小兵衛(上川周作)までも...。

不安な小兵衛を前に、ひたむきに隆盛を慕うかの3人は、騙し討ちするかのように追い出した利通(瑛太)への憤りを剥き出しにするや...。

「何が心意気じゃ!!! こん大ばかもんどもがっ!!!」

重要な役目を投げ出して帰って来た3人を、こっぴどく叱りつける隆盛の怒号は、周囲を黙らせるくらいに圧倒した。


数日を経て...。

「一蔵が慌てちょっ顔が目に浮かぶのう」

鹿児島県庁で書状に目を通す県令・大山綱吉(北村有起哉)のつぶやきを面白がって、ふっと笑う信義(高橋光臣)だったが...。

綱吉は苦い表情のままつぶやく。 これまでに戻って来た者たちと合わせて600人もの薩摩士族が、職を失っただけでなく、この鹿児島ではろくな食い扶持もないことを...。

「もし、そん連中が日を追うことに腐って、政府への不満を爆発させたら、どげんこつになっか?!」

さすがの信義も、言葉を失った。


年が明けての1874(明治7)年ほどなく...。

東京へ帰ったばかりの洋行帰りの村田新八(堀井新太)と川路利良(泉澤祐希)が、従道(錦戸亮)の案内で新たに設立された内務省へ入って...。

二人と向かい合った参議を兼ねる内務卿の利通からは、手助けを頼まれる。

兄の西郷隆盛の名に恥じぬよう、喰らいつく意気込みの従道からの優しき後押しもあって、二人は心を新たにするものの...。


悲しいかな、悪いことは立て続けに起こるものなのか、板垣退助(渋川清彦)の追い出されたことでの不満を昂らせた土佐士族たちが、具視(笑福亭鶴瓶)を襲うことになって...。

幸い一命を取り留めて安堵となったものの...。

孝允(玉山鉄二)は案じながらも、利通に忠告する。 警戒すべきは鹿児島で、いかに隆盛でも、あれだけの薩摩士族を一人で抱え込むのは、至難の業であることを...。

しかし、利通は落ち着き払って伝える。

「心配御無用。 西郷が立つことは、断じてない」


当の隆盛は、とある湯治場にて、伴として寄り添う熊吉(塚地武雅)に打ち明ける。

「自分の望みは、一人の農民として終わること。 一蔵どんのつくる日本を早よ見たか。...きっと良か国じゃ」


それでも、悲しいことに、政府への不満を募らせる方々の士族たちは、暴発寸前だった。

もちろん、鹿児島でも例外でなく、熊吉から隆盛へ打ち明けた話では、糸(黒木華)が隆盛を担ぎ出そうとする利秋たちを、思いっ切り怒鳴りつけて追い払ったことのほか...。

特に、利通への憎悪は凄まじく、実家へ多く石を投げられた恐ろしさから、利通の妻・満寿(美村里江)は、子どもたちを連れて、東京の利通の元へ行ってしまった。


一方、高知へ帰った退助は、後藤象二郎(瀬川亮)とともに、1月12日に愛国公党という政治結社をつくり、1月17日に「民選議員設立建白書」を政府へ提出した。


そして、運命の2月16日の夜...。

江藤新平(迫田孝也)率いる佐賀軍が、政府軍の守る佐賀城へ攻撃を仕掛けた。 世に言う"佐賀の乱"が勃発して...。

しかしながら、政府軍の圧倒的な軍事力に押されて、佐賀軍は無残にも壊走となってしまった。

新平は3月1日夜遅く、単身隆盛の元へ出向いて、挙兵を求める。隆盛が立てば、退助も象二郎も呼応するとして...。

しかし、隆盛は断った。 自身の考えるは、鹿児島からの政府を支えることで、私情の絡んだ戦など、もってのほかである、と。

「...西郷隆盛には失望した...」

新平はそうつぶやいて、その場を離れてしまった。

しかし、月末には高知県安芸郡東洋町甲浦付近にて捕らえられるとともに佐賀へ送還されて...。


4月13日、利通も立ち会う簡易法廷にて、新平は弁明なしに除族の言い渡しの上、あっけなく斬首されて、長いこと首を晒されてしまった。享年40歳。

「むごか仕打ちじゃな。 首を晒しただけじゃ、飽き足らず、新聞にまで書き立てるとはのう...」

直ちに新聞で知るや、さすがの川口雪篷(石橋蓮司)も、表情を硬くするのを目の当たりにした隆盛は...。

二度と反乱の起きないよう恐怖を植え付ける利通の思惑に身震いする一方で、逆に怒りを抑えられずに方々の士族たちが、暴走するであろう、と行く末を案じた上で...。


隆盛は綱吉のいる県令の執務室を訪れて...。

薩摩に士族たちの学校をつくりたいとの申し出には、剣術や大砲の取り扱い、漢学や洋学などのあらゆる学問を教えるとあって、意気の高まる中でのこと...。

何と新八(堀井新太)が現れて...。

「おいも政府を辞めて、帰って来てしもた」

隆盛は驚きとともに猛反対したものの...。

新八の気持ちは変わらなかった。 たしかに欧米の文化は発展しているものの、逆にそこで暮らす人たちは、決して幸せそうでなかったとして。 そんな国をつくろうとしている利通の手伝いのできないとして。 隆盛を手伝いたい、と。


こうして「私学校(しがっこう)」と名付けられて、建てられることになって...。

留学から帰って来た菊次郎(今井悠貴)も宗介(前川優希)も、通うようになった。



この度の成り行きを、振り返ってみれば...。


いわゆる"薩長土肥"ならではの勢力図を、大いに突き付けれる展開なのかなあ。


何よりも、のちに内務卿・大久保利通が打ち明けることになる、明治維新の精神の貫徹に30年を要するとの見方だけに...。

3つに分けるならば、明治元年から明治10年までが、"戦乱"と"創業"が"混在"の時期であるとか...。


特に、かの長州藩の見い出した周防の村医者上がりの兵学者・大村益次郎(林家正蔵)の構想による、多くの民からの徴兵による編成の軍隊としての、初めての出動となるのが、この度の"佐賀の乱"だけに...。



それだけに、気になってしまった。


あの1987(昭和62)年5月25日月曜日より発売の『江藤新平増訂版 急進的改革者の悲劇(毛利敏彦/中央公論新社)を...。

「維新の十傑」や「佐賀の七賢人」と、讃えられた一人なだけに、なぜなのか?

あの江戸時代末期と明治維新の激動期ならではの方々の志士たちの熱い想いをもっての駆けずり回る姿、いろいろと思い浮かんでしまうだけに、なぜなのか?

聞くところによれば、本人としては読書を生命としており、どのような任務に取り組んでいても、いつも卓上には5,6冊の書籍があって、用務が小閑なれば、その間を盗んでは書見していたという。

かの勝海舟からの、驚いた才物で、いつも張り詰めていて実に危ない、といった人となりともなれば...。

もしかしたら、明治維新直前まで中立だった、かの第10代肥前国佐賀藩主・鍋島直正ならではの、佐幕、尊王、公武合体派、いずれとも均等に距離を置いたことで、薩摩と長州から秘かに警戒されていた「肥前の妖怪」ぶりを、そのまま引き継いでいたのかなあ。

それだけに、必死に巻き返そうと、気高い理想をもって、ここ一番での勝負に出ようとしていた???


墓所のある本行寺や銅像のある神野公園へ向けて、熱き想いを馳せながらも...。


あの【ふるさと納税】として、常に地産地消を大切にする「そよかぜ館」からの【さが夢しずく 白米5kg(6ヶ月分)】や【新鮮野菜の詰合せ (8〜9品目)】は、もちろんのこと...。


(ふるさと納税でない...)あの1639(寛永16)年より、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の治世の下での佐賀36万石の城下町にてはじまった、「鶴屋菓子舗」からの【佐賀銘菓 元祖丸房露 22個】も...。


そして、【ふるさと納税】としての、「イケマコ」からの【自社栽培原料のおいしい麦茶 (10g×20P)×20袋】も...。


じっくりと噛みしめてみようっと。

「佐賀の賢人」への想いを込めて...。

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2018-11-10 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第42回 第43回




西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第42回 第43回

11月11日日曜日放送の第42回では...。


いよいよ、サブタイトル「両雄激突」そのものの目の離せない展開へ...。


時は1872(明治5)年の年の瀬から...。

東京の隆盛(鈴木亮平)の母屋には、菊次郎(今井悠貴)とともにアメリカへの留学となる、琴(桜庭ななみ)の長男・宗介が身を寄せる日々の中でのこと...。

岩倉使節団が日本を出ておよそ1年過ぎたロンドンの利通(瑛太)からの手紙が...。

同封された自身の頬から顎にかけての長い髭の顔写真が切々と訴えるかのように、アメリカで全然相手にされない悩みのありのままが綴られており...。


年明けての1873(明治6)年間もなく、菊次郎と宗介がアメリカへ旅立った。

アメリカにおける大勢の豊かな農民たちから学んでほしい、作物や牛馬の育て方が学問として成り立っているありのままを肌で感じてほしい、といった隆盛からの強い願いいっぱいの後押しを背に受けながら...。

しかしながら、無情にも隆盛の預かる留守政府では、先の"山城屋事件"での追い風とともに、土佐と肥前の面々が主導権を握り始めての、それぞれの主張が目立つようになって、まとまりを欠いており...。

政府を信用してもらうためには、国と民のためになる改革を行なって、成果を出さなければならないと、隆盛が覚悟を固めてゆく一方で....。

陸軍小輔となった弟・従道(錦戸亮)は、岩倉使節団の帰国まで新たな政策を行わないとの盟約の破られるのを恐れており...。

隆盛は従道に優しく諭す。

「心配いらん。すべてが国と民にとって、より良くなる政策じゃ。一蔵どんも解かってくれる」

兄のゆっくり休んでいる姿も長い間見たこともなく、不健康そうに太った背中を目の当たりにしながら、従道は返す言葉も見つからず、心配そうに見送るだけだった。


隆盛の入った会議室では、司法卿・江藤新平(迫田孝也)をはじめ、左院議員の後藤象二郎(瀬川亮)と、参議の板垣退助(渋川清彦)と大隈重信(尾上寛之)が、秋田の銅山を不正に差し押さえて私服を肥やそうとしているとして、大蔵大輔・井上馨(忍成修吾)に詰め寄っており...。

隆盛も辞職を迫るや、太政大臣・三条実美(野村万歳)がうろたえる中とあって、意を決して宣言する。 岩倉使節団の帰りは待っていられない。これからは皆が一枚岩となって、政策を推し進めてゆくとして...。

こうして、薩摩1人、土佐2人、肥前3人、といった参議からなる新たな体制がはじまって、学制、地租改正、徴兵令、といった近い将来へ.つながる新たな政策を打ち立ててゆく。


しかしながら、無情に打ち砕くかのように、5月5日の深夜、宮中から火の手の上がったとの報せが...。

隆盛が皇居である西の丸御殿に駆けつけたところ、女官や侍従たちが恐怖のまま逃げ惑っており...。

ためらうことなく隆盛が火の中に飛び込んで救い出した甲斐あってか、帝は無事に避難することになって...。

結局のところ、火はおよそ3時間も燃え続けて、宮殿は消失してしまって、太政官庁まで延焼する大火事となってしまった。

これまで溜まっていた疲労の噴き出してしまった隆盛は、皆からしばらく休むように諭されて、床に臥せるしかなかった。


それからほどなく、床に臥せる隆盛の長屋へ、利通が欧米の土産を持って現れて...。

利通はこれまでを打ち明ける。使節団より一足早い、しかも予定より8ヶ月遅れての約1年半ぶりの帰国であること。帰国を喜んだのは実美だけで、すでに政府の実権を握った土佐と肥前の面々から追い出されてしまったこと。莫大な国費を使って異国まで行ったにも関わらず、成果を挙げられなかったと言われても、返す言葉のないことを...。

今にも泣きそうになるところを、隆盛からの励ましに救われた利通は、イギリスの産業革命について熱心に語り続けた上で...。

「見た者でなければ解からん。だから江藤も後藤も板垣も、おいをないがしろにでくっとじゃ」

あの参議たちを全員辞めさせた上で、岩倉使節団が戻るなり新たに政府を立て直して、自分たちの手で欧米に負けない日本国をつくり上げようと訴えた利通だったが...。

「すまん...... 一蔵どん、そいはできん」

隆盛は切々と諭してゆく。 江藤新平をはじめ参議たちは、留守政府をしっかりと支えてくれていること。そこへ岩倉使節団すべてが加わることで、力を合わせて切磋琢磨し合えればいいのではないかということを。

利通は悲しげにつぶやいた。

「吉之助さぁは偉か。 おいは結局おはんには勝てんとじゃ。 おはんの天下じゃ」

心配した隆盛が、無理に起き上がって引き留めようとするも、利通は思いっ切り振り払って、そのまま立ち去ってしまった。


それから数日を経て...。

何と朝鮮との国交問題が浮上してしまって...。

急激に欧米へすり寄る明治新政府を認めないとして、今後は交易も国への立ち入りも許さないとの布告だった。

直ちに軍艦と兵を差し向けて、我が国への非礼を詫びさせるべき、と訴えた退助だったが...。

「あくまで礼節を重んじて、全権大使を派遣して、交渉による関係改善に努めるべきです」

そう主張した隆盛は、命の危険もあるその役目を自ら引き受けると申し出る。 一刻を争う決断を迫られるだけに、岩倉使節団の帰国を待っていられない。

こうして、「隆盛の朝鮮派遣」という形で決定となって、勅許が得られ次第、実行に移されることになった。


9月13日、予定より1年も遅れて、岩倉使節団が帰国した。

朝鮮使節派遣の止まったままを気にかけた隆盛が、実美を問い詰めると、具視(笑福亭鶴瓶)の承認を得た上で奏上するという。


10月14日、ようやく具視を交えた閣議が開かれて...。

あとは具視の承認だけ、といった極めて形式的な流れになると思いきや...。

「西郷参議の朝鮮派遣のこと、私は今一度、考え直すべきと思います」

唐突な利通の登場で、一同はどよめくことになって...。

利通から隆盛へ向けられた目は、もはやこれまでの友と見交わす目ではなかった。



11月18日日曜日放送の第43回では...。

悲しいかな、サブタイトル「さらば、東京」のような展開へ...。


それは、さかのぼる前日でのことからで...。

帝から使節団の仕事ぶりの失態を責められて落ち込んだ具視は、伊藤博文(浜野謙太)からそそのかされて引きずりこまれるかのように、たどり着いた料亭にて、居場所のない同じ長州の木戸孝允(玉山鉄二)や井上馨(忍成修吾)や山県有朋(村上新悟)からの愚痴を聞かされる中でのこと...。

政府を去るという噂の利通が現われて...。

隆盛に勝って今の政府を壊したい、そのためにも隆盛の朝鮮使節派遣を覆す。 そう宣言して...。


こうして迎えた当日の閣議では...。

利通は訴える。 一人で行けば殺される。 そして、それが戦の火種となる、と。

隆盛は訴える。礼節をもって向き合えば、気持ちは通じるはずである、と。

それでも利通は訴える。 朝鮮よりも、まず富国強兵が第一であること。そのためには、欧米のように工場を次々に建てて、武器や船や鉄道などを、つくり上げてゆくべきであること。などといった、さらなる力説が続いて、誰もが心を奪われることになったところ...。

不意に拍手の音とともに、新平が皮肉たっぷりに言い放った。

「大久保卿。 素晴らしか議論のすり替え。 実にお見事。御一同。 今、おいたちが論ずるべきは、朝鮮国への使節派遣たい」

それでも利通は、隆盛だけをしっかりと見据えていた。

いつまでも互いに譲らない二人の気迫に観念したのか、とうとう具視はつぶやいた。

「...西郷、望み通り、朝鮮国へ行って来い」

怒りに震える利通をよそに、朝鮮使節派遣は可決されて、後日に実美が帝へ奏上するだけの運びとなった。


ところが...。

不覚にも、実美が急な病気で倒れてしまって、予定されていた閣議は中止に...。

しかも、見舞いに訪ねた隆盛は、実美から悲痛な面持ちで頭を下げられる。

「こない頼りないまろが、扇の要のはずがないやろ! 西郷! 本当にすまん!」

そして、息乱れながら利通らの企てを実美から聞かされて、隆盛は唖然とさせられる。


数日を経て、秘かに閣議が再び開かれて、実美に代わって具視が奏上となってしまった。

そして、帝からの御言葉は、国政を整えて、民力を養って、努めて成功を永遠に期すべし、と。

朝鮮国使節派遣は見送りとのことだった。


明くる日に、悔しさを秘めながらも隆盛は、朝鮮の居留民の命の危ういと解かった時には、必ず救い出すように頼み込んだ上で...。

「...おいの役目は、ここまででございもす」

隆盛は深く頭を下げて、会議室を出て行った。

執務室で荷物をまとめている隆盛の元へ、血相変えた利秋(大野拓朗)たちが、具視に向けて兵を差し出すと息巻いて...。

隆盛は、辞めることも騒ぎ立てることも許さないと強く命じた上で、明るい表情で後は頼んだと、皆に背を向けて去ってゆく。

この時1872(明治6)年10月24日、西郷隆盛は政府に辞表を出した。


さらなる明くる日には、新平も象二郎も退助も、政府に辞表を出した。


それから数日を経て...。

孝允が思い詰めながら、隆盛の元を訪ねて来て...。

条約改正に失敗して、渡航の最中の留守政府の長州の者たちは、汚職にまみれてしまった責任を取らねばとの孝允に、逆に隆盛は残りの長州の参議たちのためにも留まってほしいと、切に頼み込んだ上で打ち明ける。

「人は皆、間違いを犯すもんじゃ。 間違いを認めて、どう明日へ向かうか。 そいで、そん人の器量が解かる」

具視とは器の大きさの.違う隆盛に、孝允は深々と頭を下げるだけだった。


夕暮れ時に、隆盛は利通の邸宅を訪ねて...。

隆盛は悲しみをあふれさせながらも尋ねる。 みんな利通の仕組んだことなのか、どうしてずる賢く頭を使わなければならないのか、どうして腹を割って話してくれないのか、と。

しかし利通は、すべて憎まれるのを覚悟の上でしただけのこと、と強く言い切るだけ...。

それでも隆盛は切に訴える。 嫌いにはなれない。正しい道ならば突き進んで、何が何でもやり遂げる。 そんな大久保一蔵という男を嫌いにはなれない、と。

今にも張り裂けそうな利通に、隆盛は檄を飛ばすかのように打ち明けて、後にした。

「あとは、おはんの好きなやり方でやれ。 おいは鹿児島で畑を耕す。 頼んだど。一蔵どん。 チェスト!!! キバれ!!!」



もしかしたら、この本放送で、これからの日本の行く末が決まった瞬間、ということに???


ふと、あの2002(平成14)年3月20日水曜日より発売の『戦争の日本近現代史 東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで』(加藤陽子/講談社現代新書)が、思い浮かんでしまっただけに...。

そう、かの"明治六年の政変"の1872(明治6)年10月23日から、あの"太平洋戦争"に突入してしまった1941(昭和16)年12月8日までの流れが...。


何よりも、明治維新に尽くしたにも関わらず、新政府に置いてけぼりにされてしまった、といった方々の不平士族の動向が暗示しているかのように...。

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2018-11-01 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第41回










西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第41回

11月4日日曜日の放送にて...。


サブタイトル「新しき国へ」とはいうものの...。


あの"廃藩置県"からの、ありとあらゆる改革が政府内外問わず執り行われる中でのこと...。

いまだに薩摩と長州の出身者たちが主導権を握ったままの実情の変わらない一方で、維新に尽くしたはずとの想いの強い土佐や肥前などの出身者たちは、より不満を募らせつつあって...。

新たに取り決められた欧米への使節団の派遣にも、岩倉具視(笑福亭鶴瓶)を筆頭に、大久保利通(瑛太)、木戸孝允(玉山鉄二)、伊藤博文(浜野謙太)、といった薩摩と長州の優遇ぶりが、より際立っており...。

隆盛には疑問だった。 明治維新を実現して4年も過ぎたものの、いまだに国内における問題の多く残ったままで、政府の首脳陣の多くがいなくなってしまう事態に、全然納得できないだけに...。

それでも、アメリカやイギリスへの見聞を深めた博文からの、強大な欧米の繁栄ぶりの見聞こそは、これからの日本国を担う者たちの急務であるとの主張が、より上回ることになって...。

結局のところ、具視からの巧い具合な締めと、三条実美(野村万蔵)への挨拶を終えて受けとめられたものの...。

不思議にもなぜかほかの者たちからの反対もなく、その場における話し合いは終了となった。


それからほどなく、利通と二人きりになった隆盛は、秘かに打ち明けられる。 かの岩倉使節団の欧米派遣の隙を狙って、土佐と肥前の出身者たちが、実権を掌握しようとしていることを。 特に、地元の鹿児島では、廃藩置県を不服とする旧薩摩藩国父・島津久光(青木崇高)を担いでの不穏な動きのあることを。

何よりも、維新前での締結を余儀なくされた不平等条約の是正に悩まされる利通だけに、日本を頼むと強く哀願された隆盛は、女子や子どもも連れてゆくと知るなり、菊次郎(今井悠貴)へ異国へ行って見聞を広めてほしいとの文をしたためる。


隆盛の住み込む長屋には、いつものように薩摩のなじみの者たちの集まって賑わう中で、従道(錦戸亮)と川路利良(泉澤祐希)もやって来て、欧州へ同行することの許された喜びを打ち明ける。

中村半次郎から改めた桐野利秋(大野拓朗)と従兄弟の別府晋介(篠原悠紳)たちもやって来て、大いに賑わう中でのこと...。

村田新八(堀井新太)だけは、帝へ直々に仕える仕事だけに恐れ多いと、浮かない顔のままで...。

しかし、隆盛は優しく励ます。 幼い頃より明るく腸まで清い新八だからこそ、帝へ直々に仕えるのは当然であることを。

涙の止まらない新八は、喜んで受け入れる。


それから数日が過ぎて...。

帝の教育係にふさわしい人物を選んだ上で伴わせた隆盛は、宮中へ上がった。


利通から代わって大蔵省を預る立場となった隆盛は、名実ともに留守政府を預る立場にもなったものの...。

具視からは、土佐の後藤象二郎(瀬川亮)や肥前の江藤新平(迫田孝也)に用心して、留守の間は何もするなと釘を刺される。

こうして岩倉使節団は、横浜港からサンフランシスコへ向けて、旅立っていった。


前後して、具視ならではの不安が、突き付けられるかのように、長州の山県有朋(村上新悟)の率いる陸軍が65万円もの途方もない額を、かつての奇兵隊でなじみの同志である政商・山城屋和助へ無断で貸し付けて、見返りを受け取っていたという事件が明るみになって...。

孝允より引き立てられた旧長州藩士で大蔵大輔の井上馨(忍成修吾)だけが、ただ一人の味方とあって、悩みに悩んだ隆盛は、三条実美(野村万蔵)からの巡幸への差し支えの不安を打ち明けられたこともあって、決意を固めてゆく。

結果として、有朋が陸軍大輔を返上して、かの和助が11月29日に陸軍省内で割腹自殺となって...。

世に言う"山城屋事件"は、幕引きとなってしまった。


それでも隆盛には、さらなる難題が待ち受けていた。

すでに名を改めた海江田信義(高橋光臣)からの来訪とともに、旧薩摩藩国父・島津久光(青木崇高)からの書状を手渡されて...。

直ちに目を通したところ、先の廃藩置県の煽りでの鹿児島全体における不満が、一層に高まってゆく中だけに、新政府への怒り、政府から各地へ派遣される長官である県令に、久光を任命するようにとの要望だった。

地元だからとの例外を認めれば、全国へ混乱を招くことを恐れる隆盛は、苦渋のまま拒絶するしかなかった。

不満をぶちまげる信義に、隆盛は一喝する。

「おいたちは、新しか国をつくっとじゃ!!!」


明くる年5月からの明治天皇(野村万之丞)の西国各地への巡幸の途上で、鹿児島城での拝謁となった久光だったが...。

帝の洋装に愕然とするや、久光は終えるなり怒涛の勢いで隆盛の元へ駆け込んで、思う存分の怒りをぶちまげる。

「天子様にあげな珍妙なお着物をお着せするとは...兄上が今の日本を見たら、どげん思わるっか!!!」

隆盛は自身の無力さに涙の止まらないまま訴え続ける。

「おいにもようやく国父様のお気持ちが分かいもした。 今のままでは民百姓にも、戦で命を散らしたもんたちにも、われらに全てを託してくだされた徳川の方々にも顔向けできもはん」

咄嗟に久光が隆盛の胸ぐらを掴み上げてぶちまげる。

「太かなりをして、何を小さくなっておる!!! そいが、わしの大嫌いじゃった西郷隆盛か!!!」

誰に憎まれても、思った通りにやれ。やるだけやって倒れたら、あとは若い者にまかせて薩摩に戻ってくればいいと、つぶやいた上で、久光はさらに一喝する。

「はよ帰って、天子様のお召し物を考え直してこんか!!!」

隆盛はただひたすら耐え忍んでひれ伏すだけで、久光が去った後も変わらないままだった。



あの不平等条約改正も兼ねた岩倉使節団の欧米歴訪か...。

明治4年11月12日(1871年12月23日)から1873(明治6)年9月13日まで、一体何があったのか...。

政府首脳陣や留学生を含む総勢107名ともなれば、いろいろありそうで...。


とにかく、2012(平成24)年9月1日土曜日より発売の『岩倉使節団 誇り高き男たちの物語』(泉三郎/祥伝社)...。

本放送とともに、じっくりと目を通してみるしかない。


大阪府堺市中区小阪の「あきさ」自慢の【Japan beer 日本ビール 大久保利通 330ml / 24】を、じっくりと味わいながらも...。


世に言う"山城屋事件"の経緯も記されている、2018(平成30)年9月12日水曜日より発売の『隠れたる事実 明治裏面史』(伊藤痴遊/講談社)からも、目を通してみるか...。



なお、旧暦となる太陰暦は、明治5年12月2日(1872年12月31日)まで...。

新暦となる太陽暦の、1873(明治6)年1月1日からの波乱が、いよいよか...。


どうなってしまうのか...。

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2018-10-20 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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