西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第44回 - けものみちをあるく

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西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第44回










西郷どん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第44回

11月25日日曜日の放送では...。

とうとう、サブタイトル「士族たちの動乱」へ...。


あれからの西郷隆盛(鈴木亮平)は...。

鹿児島へ帰ってから、畑仕事をしたり愛犬を連れて狩りをしたり、といった静かな毎日を過ごす中で...。


時は1873(明治6)年11月のある日のこと...。

「西郷先生、おいたちも御役目を捨てて、薩摩に戻ってまいりもした!」

その叫びとともに、桐野利秋(大野拓朗)と別府晋介(篠原悠紳)と篠原国幹(榊英雄)と辺見十郎太(持永雄恵)が、隆盛の元に押し掛けて来て...。

隆盛が驚いたままの中、遅れて従道(錦戸亮)から皆を連れ戻すよう頼まれた小兵衛(上川周作)までも...。

不安な小兵衛を前に、ひたむきに隆盛を慕うかの3人は、騙し討ちするかのように追い出した利通(瑛太)への憤りを剥き出しにするや...。

「何が心意気じゃ!!! こん大ばかもんどもがっ!!!」

重要な役目を投げ出して帰って来た3人を、こっぴどく叱りつける隆盛の怒号は、周囲を黙らせるくらいに圧倒した。


数日を経て...。

「一蔵が慌てちょっ顔が目に浮かぶのう」

鹿児島県庁で書状に目を通す県令・大山綱吉(北村有起哉)のつぶやきを面白がって、ふっと笑う信義(高橋光臣)だったが...。

綱吉は苦い表情のままつぶやく。 これまでに戻って来た者たちと合わせて600人もの薩摩士族が、職を失っただけでなく、この鹿児島ではろくな食い扶持もないことを...。

「もし、そん連中が日を追うことに腐って、政府への不満を爆発させたら、どげんこつになっか?!」

さすがの信義も、言葉を失った。


年が明けての1874(明治7)年ほどなく...。

東京へ帰ったばかりの洋行帰りの村田新八(堀井新太)と川路利良(泉澤祐希)が、従道(錦戸亮)の案内で新たに設立された内務省へ入って...。

二人と向かい合った参議を兼ねる内務卿の利通からは、手助けを頼まれる。

兄の西郷隆盛の名に恥じぬよう、喰らいつく意気込みの従道からの優しき後押しもあって、二人は心を新たにするものの...。


悲しいかな、悪いことは立て続けに起こるものなのか、板垣退助(渋川清彦)の追い出されたことでの不満を昂らせた土佐士族たちが、具視(笑福亭鶴瓶)を襲うことになって...。

幸い一命を取り留めて安堵となったものの...。

孝允(玉山鉄二)は案じながらも、利通に忠告する。 警戒すべきは鹿児島で、いかに隆盛でも、あれだけの薩摩士族を一人で抱え込むのは、至難の業であることを...。

しかし、利通は落ち着き払って伝える。

「心配御無用。 西郷が立つことは、断じてない」


当の隆盛は、とある湯治場にて、伴として寄り添う熊吉(塚地武雅)に打ち明ける。

「自分の望みは、一人の農民として終わること。 一蔵どんのつくる日本を早よ見たか。...きっと良か国じゃ」


それでも、悲しいことに、政府への不満を募らせる方々の士族たちは、暴発寸前だった。

もちろん、鹿児島でも例外でなく、熊吉から隆盛へ打ち明けた話では、糸(黒木華)が隆盛を担ぎ出そうとする利秋たちを、思いっ切り怒鳴りつけて追い払ったことのほか...。

特に、利通への憎悪は凄まじく、実家へ多く石を投げられた恐ろしさから、利通の妻・満寿(美村里江)は、子どもたちを連れて、東京の利通の元へ行ってしまった。


一方、高知へ帰った退助は、後藤象二郎(瀬川亮)とともに、1月12日に愛国公党という政治結社をつくり、1月17日に「民選議員設立建白書」を政府へ提出した。


そして、運命の2月16日の夜...。

江藤新平(迫田孝也)率いる佐賀軍が、政府軍の守る佐賀城へ攻撃を仕掛けた。 世に言う"佐賀の乱"が勃発して...。

しかしながら、政府軍の圧倒的な軍事力に押されて、佐賀軍は無残にも壊走となってしまった。

新平は3月1日夜遅く、単身隆盛の元へ出向いて、挙兵を求める。隆盛が立てば、退助も象二郎も呼応するとして...。

しかし、隆盛は断った。 自身の考えるは、鹿児島からの政府を支えることで、私情の絡んだ戦など、もってのほかである、と。

「...西郷隆盛には失望した...」

新平はそうつぶやいて、その場を離れてしまった。

しかし、月末には高知県安芸郡東洋町甲浦付近にて捕らえられるとともに佐賀へ送還されて...。


4月13日、利通も立ち会う簡易法廷にて、新平は弁明なしに除族の言い渡しの上、あっけなく斬首されて、長いこと首を晒されてしまった。享年40歳。

「むごか仕打ちじゃな。 首を晒しただけじゃ、飽き足らず、新聞にまで書き立てるとはのう...」

直ちに新聞で知るや、さすがの川口雪篷(石橋蓮司)も、表情を硬くするのを目の当たりにした隆盛は...。

二度と反乱の起きないよう恐怖を植え付ける利通の思惑に身震いする一方で、逆に怒りを抑えられずに方々の士族たちが、暴走するであろう、と行く末を案じた上で...。


隆盛は綱吉のいる県令の執務室を訪れて...。

薩摩に士族たちの学校をつくりたいとの申し出には、剣術や大砲の取り扱い、漢学や洋学などのあらゆる学問を教えるとあって、意気の高まる中でのこと...。

何と新八(堀井新太)が現れて...。

「おいも政府を辞めて、帰って来てしもた」

隆盛は驚きとともに猛反対したものの...。

新八の気持ちは変わらなかった。 たしかに欧米の文化は発展しているものの、逆にそこで暮らす人たちは、決して幸せそうでなかったとして。 そんな国をつくろうとしている利通の手伝いのできないとして。 隆盛を手伝いたい、と。


こうして「私学校(しがっこう)」と名付けられて、建てられることになって...。

留学から帰って来た菊次郎(今井悠貴)も宗介(前川優希)も、通うようになった。



この度の成り行きを、振り返ってみれば...。


いわゆる"薩長土肥"ならではの勢力図を、大いに突き付けれる展開なのかなあ。


何よりも、のちに内務卿・大久保利通が打ち明けることになる、明治維新の精神の貫徹に30年を要するとの見方だけに...。

3つに分けるならば、明治元年から明治10年までが、"戦乱"と"創業"が"混在"の時期であるとか...。


特に、かの長州藩の見い出した周防の村医者上がりの兵学者・大村益次郎(林家正蔵)の構想による、多くの民からの徴兵による編成の軍隊としての、初めての出動となるのが、この度の"佐賀の乱"だけに...。



それだけに、気になってしまった。


あの1987(昭和62)年5月25日月曜日より発売の『江藤新平増訂版 急進的改革者の悲劇(毛利敏彦/中央公論新社)を...。

「維新の十傑」や「佐賀の七賢人」と、讃えられた一人なだけに、なぜなのか?

あの江戸時代末期と明治維新の激動期ならではの方々の志士たちの熱い想いをもっての駆けずり回る姿、いろいろと思い浮かんでしまうだけに、なぜなのか?

聞くところによれば、本人としては読書を生命としており、どのような任務に取り組んでいても、いつも卓上には5,6冊の書籍があって、用務が小閑なれば、その間を盗んでは書見していたという。

かの勝海舟からの、驚いた才物で、いつも張り詰めていて実に危ない、といった人となりともなれば...。

もしかしたら、明治維新直前まで中立だった、かの第10代肥前国佐賀藩主・鍋島直正ならではの、佐幕、尊王、公武合体派、いずれとも均等に距離を置いたことで、薩摩と長州から秘かに警戒されていた「肥前の妖怪」ぶりを、そのまま引き継いでいたのかなあ。

それだけに、必死に巻き返そうと、気高い理想をもって、ここ一番での勝負に出ようとしていた???


墓所のある本行寺や銅像のある神野公園へ向けて、熱き想いを馳せながらも...。


あの【ふるさと納税】として、常に地産地消を大切にする「そよかぜ館」からの【さが夢しずく 白米5kg(6ヶ月分)】や【新鮮野菜の詰合せ (8〜9品目)】は、もちろんのこと...。


(ふるさと納税でない...)あの1639(寛永16)年より、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の治世の下での佐賀36万石の城下町にてはじまった、「鶴屋菓子舗」からの【佐賀銘菓 元祖丸房露 22個】も...。


そして、【ふるさと納税】としての、「イケマコ」からの【自社栽培原料のおいしい麦茶 (10g×20P)×20袋】も...。


じっくりと噛みしめてみようっと。

「佐賀の賢人」への想いを込めて...。

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2018-11-10 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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