いだてん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第17回 - けものみちをあるく

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いだてん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第17回












いだてん NHK 大河ドラマ あらすじ ネタバレ 第17回

5月5日日曜日の放送では...。

サブタイトル「いつも2人で」とはいうものの...。


かのベルリンオリンピック中止の報せを、治五郎(役所広司)から直に聞かされた四三(中村勘九郎)は...。

完全に茫然自失となってしまって、下宿部屋に引き籠ってしまったままの日々を過ごすことになって...。


心配した皆からの懸命な呼びかけに応えようともしない四三に、とうとう堪りかねてか、徳三宝(阿見201)が部屋の襖を体当たりで破って...。

吊られた勢いで清さん(峯田和伸)も入るも、四三はただ空を虚ろに眺めるだけだった。

「元気出せよ、韋駄天! 気晴らしに走ろうぜ!」

二人は気晴らしに走ろうと、四三を引き出そうとするも...。

「オリンピックの無うなったとに、なあし俺ぁ走るとですか?」

相変わらず頑なな四三と、ついつい揉み合いになってしまって...。

そこへ突然、重い水が思いっ切り四三にかかって....。

「こん人、水ばぶっかけると、大人しゅうなりますけん」

何とオリンピックの中止を新聞で知るや、上京したばかりのスヤ(綾瀬はるか)だった。

落ち着きを取り戻した四三は、苦しい胸の内を、熊本にへ帰る気になれないありのままを、桶を手にしたスヤに打ち明ける。

慮ったスヤは、咄嗟に辛作(三宅弘城)から自転車を借りて...。

四三は足袋を履いて、表に出るや少しずつ身体をほぐして...。

四三は走って、スヤは判定して、時間をともにすることになった。


夜遅くなると、スヤは四三の下宿部屋に泊まることになって。

四三はスヤに謝った。

「こん前は、すまんかったね、追い返して...。 これからは、時々会いに来てよかけん...いや、来てくれ。 もう帰れとは言わんけん」

スヤは四三への愛しさでいっぱいに...。

ところが...。

四三はスヤの胸の内そっちのけで、熱く語った。 自分が走れなくなったら、誰が後を引き継ぐのか? 全国にいる韋駄天の卵を見つけるのは、至難の業となるかも?

スヤは呆れて言い返した。

「金栗四三が50人おったら、よかばってんね」


明くる日となって...。

四三は、東京高等師範学校の治五郎を訪ねると、指導者になろうと教職に就くことを申し出る。

続けて、前夜のスヤの嘆きの言葉から思いついたことを、打ち明ける。

「俺がもし50人おったら、50倍の距離ば走れます。1人10km走れば500kmです。 一人じゃ無理ばってん、50人おったら走れるとです」

マラソンで40kmもの距離を走るのはつらく孤独だが、団体競技と考えてみてはどうかと、治五郎が四三に問いかける。

助け合い励まし合う仲間がいれば、大阪から東京までも走ることができると想像しただけで、治五郎とともに身体の熱くなった四三は、思い切って宣言する。

「いつの日か、東京から大阪まで走破するために、その50人ば育てるために、俺ぁ教員になります!」


オリンピックに代わる新しい目標を見つけた四三は、1916(大正5)年に神奈川師範学校(現在:横浜国立大学教育学部)の教員となって、地理を教える傍ら、辛作との2人3脚で練習方法や足袋の改良に向けて、取り組むことになった。

三島家の若い女中・シマ(杉咲花)は、東京女子高等師範学校の生徒となって、ミルクホールの仕事も続けており...。

四三を連れてミルクホールを訪ねた治五郎は、女子体育の振興こそ国を挙げて取り組む課題であるとして、シマを強く励ますことに...。

互いの心がますます弾む中での東京・大阪間のレースの話に夢中になる中でのこと、唐突に読売新聞記者の大村と土岐が現われて...。

折しもこの時は、京都から東京への遷都50周年の協賛行事として、新聞社挙げての画期的な運動会を開催したいとの機運が高まっているとのことで、浅草での運動部の御意見番との会見に臨むと打ち明けるや...。

新聞社からの協賛ともなれば鬼に金棒と考える治五郎は、同行を申し出た。


治五郎と四三と新聞記者2人が、待ち合わせ場所の凌雲閣展望台にたどり着いたところ...。

待ち受けていたのは、大日本体育協会(体協)副会長・武田千代三郎(永島敏行)と、何と天狗倶楽部のヤジ将軍こと吉岡信敬(満島真之介)で...。

御意見番が信敬であることに唖然の治五郎と四三をよそに、土岐は景色を眺めながら申し出る。東海道五十三次をめぐるレースはどうかと、持ちかけて...。

信敬とともに壮大なアイデアに興奮した四三へ向けて、土岐は説明する。 全体を23区間に分けて、関東と関西と中部から23人のランナーを選び出して、516kmを走り継ぐ画期的なレースであることを...。

それにふさわしい名前をつけようと、誰もが熱の高まる中で...。

「駅伝はどうだろう」

ふと千代三郎が、つぶやいた。 東海道の53の宿場を走ること。 つまり"駅"を"伝"って走るから、「駅伝」がふさわしいであろう、と。

誰もが高まって賛成することになった。


こうして1917(大正6)年4月27日、東海道五十三次駅伝が開幕することになって...。

関西軍が残念ながら選手を集められずに直前での出場辞退となったために関東軍と中部軍のトップランナーが、14時の号砲とともに、京都三条大橋からのスタートとなった。

開始からおよそ44時間後の29日10時5分...。

最終走者の四三は、川崎を出発した。


大観衆が応援に集まったゴールへ、ようやくたどり着くことになった四三には、大熱狂の嵐に煽られるかのように、四三と一緒に走りたがる人たちが相次ぐことになって、「駅伝」との絶叫同然の掛け声が、高まってゆく。

結果は関東軍の圧勝。 とどまることのない大熱狂のまま、日本初の駅伝は大成功となった。


その後に熊本へ帰り着いたスヤには、妊娠が明らかになって...。

直ちに幾江(大竹しのぶ)は、勢いのまま金栗家へ駆けつけて、喜びを爆発させる。

「子どもを授かったら、さすがのマラソン馬鹿も帰ってくるばい!!! こっで池部ん家は安泰じゃ!!!」



この度の四三といい...。

かの東海道五十三次駅伝といい...。


この時のはもちろん、遠い将来を見据えるならば...。



東京からは、2016(平成28)年2月25日木曜日より発売の『お医者さんがつくった脳トレで旅する東海道』(豊田早苗/自由国民社)が...。


京都からは、2017平成(平成29)年3月2日木曜日より発売の『お医者さんがつくった脳トレで旅する中山道』(豊田早苗/自由国民社)が...。


かの独特の歩き旅による健康増進のようなものかなあ。


もちろん、2019(平成31)年3月29日金曜日より発売の『復刻新装版 ランニング』(金栗四三・増田明美/時事通信出版局)ならではの真髄かつ真骨頂ぶりも、重なり合っており...。



かの東海道五十三次駅伝...。

どのように奮い立たせていたんだろうか...。


もしも起点の京都・三条大橋に、天保年間(1831年から1845年まで)創業、京都府京都市東山区大和大路四条上がる廿一軒町「祇園藤村屋」名物としての【京漬物盛り合わせ 150g】と【合わせ酢 甘露千鳥 200ml】があったら...。


もしも終点の東京・日本橋に、1818(文政元)年創業、東京都中央区日本橋「榮太樓總本鋪」名物として、1911(明治44)年4月3日開業の日本橋の絵柄で御馴染の【榮太樓飴 名橋日本橋缶 2缶入(梅ぼ志飴・黒飴)】があったら...。


本当にあったら、嬉しかっただろうなあ。



じっくりとかみしめようかなあ。

オリンピックに込められた平和への強い祈りと強い願いを込めて....。

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2019-04-01 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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